Ζガンダムってこんな話。 あらすじをまとめてみました。

 

あのガンダムの続編がついに登場した…のだが

『機動戦士ガンダム』の衝撃と感動から5年が経過した1985年。

アニメ制作会社であるサンライズの黄金期とも言えるロボットアニメブームを支えた富野由悠季だが、スポンサーであるバンダイから「お前、やっぱガンダム作れ」ということで続編の制作が決定した。 『伝説巨神イデオン』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『重戦機エルガイム』などの作品を毎年放送するという快挙を成し遂げていた富野総監督だったのだが、それらの功績をある意味で否定された形となっての続編制作である。

もともとエキセントリックな性格の富野が不満を大爆発させた結果、『機動戦士Ζガンダム』は迷走に次ぐ迷走を重ねた。

これはガンダムMk-Ⅱで、本当の主人公機であるΖガンダムは物語中盤まで登場しない。

TV版のファーストガンダムは予備知識などなくても楽しめる名作であるが、この続編たる『機動戦士Ζガンダム』はまったく違う。

後半の主役機、Ζガンダム。ゼットガンダムではなくゼータガンダム。

基礎知識として「一年戦争」の発端と結末がどうだったのかを知っている必要があるし、戦後に複雑化した地球連邦政府ならびに地球連邦軍の実態についても少ないセリフや描写から推察する洞察力と想像力が要求される。

では、簡単に物語の背景を説明しよう。

  • ザビ家の崩壊を契機に終戦したため、一年戦争終結後もジオン公国軍の残党勢力(=戦力)はかなりの数が存在していた。
  • 最も規模の大きい勢力は火星のアステロイドベルト付近まで逃げのびて、小惑星アクシズという資源採掘衛星でひどい逃亡生活を送っていた(ここにシャアも含まれる)。
  • 終戦後にジオン残党の一部がいろいろやらかした(ガンダム0083などで描かれる)せいで、地球連邦軍内部にジオン残党狩り専門の特殊部隊= ティターンズが設立される。
  • ティターンズは戦後間もない荒廃した世界でほとんど唯一の実戦部隊であり、ジオン残党の脅威に対抗するため優先的に最新鋭の技術や莫大な予算が投入された。
  • その結果、ティターンズは膨張し、増大した権力と武力によって特権意識が生まれ、地球連邦軍内部に格差が生じてしまう。
  • ティターンズは「地球至上主義」を掲げて地球生まれ以外のスペースノイド=宇宙移民を差別するようになり、そうした選民思想を嫌う人々は「反地球連邦組織」として「エゥーゴ」を設立、ティターンズに対抗すべく独自の装備をそろえ始める。
  • 一年戦争終結から7年が経過した宇宙世紀0087年、かつてサイド7と呼ばれた新興コロニー「グリーン・ノア1」に、赤い機体色のモビルスーツが現れる。それは赤い彗星と呼ばれた男の復活でもあった。
 

クワトロ・バジーナ大尉として復活したシャア。知っている人からすれば一目瞭然である。

 

というわけでΖガンダムのストーリーをざっくり説明すると、地球連邦軍という巨大な組織の中で起きた内ゲバの話である。要するに内部分裂して紛争を起こしたのだ。

これのなにが難しいって、地球連邦軍、ティターンズ、エゥーゴともに同じ地球連邦軍であるという点だ。

それはまるで自民党〇〇派とか同じ自民党内でも一枚岩ではないとかいうような、まるで現実社会と同じ構造を「ガンダム」に持ち込んでしまったのである。

さらに、政治の世界にはありがちな超巨大企業による介入もあり、経済界の都合による紛争の長期化という策謀が盛り込まれ、その上第三勢力としてライバル政党の敵対的吸収劇(アクシズ勢力による紛争介入)にまで発展してしまう。

こうなるともう視聴者はワケがわからない。

敵も味方も連邦軍の制服みたいなのを着ているし、モビルスーツもやたらめったら登場してどんどん旧式化していくし、登場人物はどいつもこいつも所属組織を裏切って離反するし、手近なところですぐ恋愛するし、なんだこの現実世界の延長戦みたいな話は!

もう意味がわからないよ――となる。

だが、ちょっと待ってほしい。

この混沌を絵に描いたような『機動戦士Ζガンダム』の物語は、とてつもなく面白い。   なぜならこれは、あなたが経験してきた現実世界の社会構造の縮図そのものだから。

モビルスーツによる戦争も武力衝突も宇宙移民もないけれど、登場人物たちが葛藤するこの宇宙世紀の物語は、いまオレが経験している現実世界のそれと似た状況じゃん!?

映像で描かれていない部分を想像するのは、作品世界に没入している人間にとって愉悦の時間である。

戦後、彼らになにがあったのか。世界はどうしてこうなったのか、それらの説明は劇中で一切ない。

だからこそ会話の中で断片的に語られるエピソードに集中してしまう。拙い作画で描かれる些細なシーンにドキドキする。

あれ、カミーユとファって…やってるなこりゃ、とかね。

第1話からライバルキャラに喧嘩を売って顔面を蹴られる、主人公カミーユ・ビダン。

確かに、子どもの頃に『機動戦士Ζガンダム』を観ても意味がわからないだろう。

印象に残るのは、モビルスーツがカッコイイとか主題歌が森口博子だとか、なんか女性キャラがすぐビンタしてくるし性格が生臭くて嫌だとか(笑)、そんな程度のことかもしれない。

だが、歳を重ね、経験を積んだ大人になってから見返してみると、これがもう泣けるほど共感できる。

あのカッコ良かったシャアやアムロがダメな大人になっているのはなぜか。

カツがクソ生意気なガキなのに周りに愛されているのはなぜか。

女性に対するシャアの「性癖」がずっと一貫していて感心するのはなぜか。

 

大人になってからこそ楽しめるという点が、ガンダムの人気が継続する秘訣ではないかと思う。ベルトーチカに強引に誘われて少しやる気が復活するアムロのことが、今なら理解できる。

1987年という時代に、これほど女性の社会進出を描いたアニメ作品があっただろうか。なにしろ上司との社内恋愛で揉めて、キャリアウーマンがライバル企業に転職しちゃうんだぞ!? 昼ドラか。

一貫しているのが、ガンダムシリーズは基本的に人間ドラマを描いているという点だ。

今回の『Ζガンダム』はそれがあまりにもリアルすぎたため、背景となるはずの設定が膨大になってわかりにくいというだけである。

地球連邦軍とはトヨタである。

そう考えればわかりやすい。縦割り構造の社内で部署ごとに対立しているようなものである。

この『Ζガンダム』から「ガンダムはリアル」だと言われるようになったのも頷ける。

ちなみに劇場版となる『新訳 機動戦士Ζガンダム』3部作は基本的に別物なので混同しないように。あれはアレ、これはコレである。どちらかといえばTV版が正統派だ。

 

カツ・コバヤシ

 

クソ生意気なガキの代名詞ことカツ・コバヤシ。レツ、キッカとともにハヤト夫妻の養子となったため年齢的には長男となる。

不甲斐ないアムロにあえて暴言を吐くシーンは、大人になってから観ると健気で泣きそうになる。